月別アーカイブ: 2015年11月

伝統行事に見る
「水に流す人々」

カトンの屋台

飛行機の予約が取れない。11月下旬、チェンマイへ出張しようとコンピュータに向かったが、全く空席がない。一体どうしたことかとカレンダーに目を向けてはじめて気が付いた。「そうか、ロイカトンだったかぁ」。タイ人なら誰も忘れることのない行事を、うかつにも私は忘れていたのだ。

今年は11月25日がロイカトンだった。このロイカトンという行事、日本語に訳すと「灯篭流し」になる。そしてロイカトンの起源はというと、かなり昔、13世紀のスコータイ王朝時代だそうだ。かなり伝統のある行事なのである。

当時の王妃が、川から日々受ける恩恵に対して、川の女神プラメー・コンカへ感謝を捧げるために、バナナの葉でハスの花をかたどった灯篭(カトン)をつくり、川に流した(ロイ)のがロイカトンの始まりだそうだ。

現在も毎年陰暦12月(新暦10~11月)の満月の夜になると、タイ全国各地で、ロイカトンが行われる。

そして、このロイカトンの日には街中にカトンを売る屋台がたつ。色鮮やかに花で飾られたカトンの仕込みと販売は大概、主婦や子供たちのサイドビジネスだ。小さなもので1個40バーツ。豪華なものになると200バーツ以上するものもある。水に流すだけのカトンにいくらのお金を掛けるか? それにも個人個人の思いがあるようだ。

もちろんカトンを自分で手作りすると言う人もいる。うちの会社の女性スタッフはこれまでに買った宝くじのハズレ券でカトンを作って流している。これまでの不運を水に流し、新しい運気を貰おうという心づもりなのだろうか? パン屋に勤める友人はパンでカトンを作って毎年流している。パンの灯篭は魚の餌にもなって一挙両得だと笑う。こういった変わった素材のカトンの登場は5年前くらい前からである。

以前は安価な発砲スチロールがカトンとして使われていた。しかし、ロイカトンの日に大量に川から海へ流される発砲スチロールが環境へ悪影響を与えていると問題になったのだ。タイ政府は天然素材を使ったカトンの使用を国民に呼び掛けた。その呼びかけが功を奏し、近年はバナナの葉や紙など、自然の素材を使ったカトンがほとんどである。これは本当に良い事だと思う。

穢れや不運を灯篭に託して水に流すロイカトン。そういえば、日本でも過去のことをとやかく言わず、すべてなかったことにすることを「水に流す」という。タイと日本、やっぱりどこかで繋がっている気がする。

 

ロイカトンが好きな息子

蒸一さんの息子くんも「ロイカトン」を毎年楽しみにしています。

 

ロイカトンと会社のスタッフ

蒸一さんの会社スタッフのみなさん。一堂に集まってカトンを流しました。

 

中村蒸一 Profile

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タイで日本居酒屋<寅次郎><どんたく 九州酒場>を展開する、なえぎ(タイランド)株式会社代表。 詳しくはこちらをクリック! インタビュー「熱い思いで本物の日本居酒屋をタイに根付かせる!」

日本よりも便利で手軽?
タイのATM&キャッシュカード

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なぜタイ人は現金をあまり持ち歩かないのか? 会社のスタッフに聞くと、

「タイ人は財布の中に現金があると、あるだけ使ってしまう。だから、その日に使って良いだけの現金しか持ち歩かないようにしているからです。もし足りなかったらATMに行って下ろせばいいですから」。

そんな答えが返ってきた。確かにATMを金庫代りしているタイ人は多い。だから現金をあまり持ち歩かない。バンコクの街中には至る所に銀行のATMがある。24時間利用できて、深夜であっても日本の様に時間外手数料を取られることもない。但し、自分の口座がある銀行以外のATMを規定回数以上利用すると手数料が掛る。だからタイの場合は、同じ場所にいくつものATMが並んで設置されることも珍しくない。日本人からしてみたら非効率な気がする。でも、何台かあるお陰で1台が現金不足で利用中止になっていても慌てずにすむ。だから、普段私が立ち寄るATMは何台か設置されている場所が多い。

また最近のタイのATMは多言語になっていて、英語や日本語、ミャンマー語、中国語などで取引できる機械も多い。なかでも東京三菱UFJ銀行が買収したアユタヤ銀行は、日系だけあって、ほぼ全部のATMが日本語対応になっている。だから最近はアユタヤ銀行に口座を持つ日本人が増えている。

24時間営業、多言語とタイのATMはかなり凄いが、タイのキャッシュカードもなかなかあなどれない。実はタイの銀行が発行する最近のキャッシュカードはデビットカードとしての機能が付いている。ビザやマスターカードが使えるお店なら、クレジットカードとして普通に使えるのだ。ただし、EDCと呼ばれる電子端末が来ている加盟店に限られるが。だからこの手のカードには「エレクトリック・ユース・オンリー」の表記がある。年齢制限もないし、所得審査もない。しかも銀行で口座を開設すると、その場で受け取れ、すぐに利用することができる。この辺の手軽さは日本の銀行以上だ。またタイ国内だけでなく日本や海外でもビザやマスターカードとして使える。そして現金が必要な時は、海外のATMでも手数料が掛るが現金を引き出すこともできる。

とにかく便利の良いタイのキャッシュカードは年会費が300バーツ。日本での価値にすると3000円ほどである。日本の様に時間外手数料も取られず、24時間現金が下ろせて、世界中でクレジットカードとしても使える。これで年会費300バーツは高くはないと思う。

その昔、トラベラーズチェックなるものを持って海外旅行にでたことがある。今では普段使っているキャッシュカード1枚で旅に出る事ができる。なんとも便利な世の中になったものだ。

 

画像①

 

中村蒸一 Profile

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タイで日本居酒屋<寅次郎><どんたく 九州酒場>を展開する、なえぎ(タイランド)株式会社代表。 詳しくはこちらをクリック! インタビュー「熱い思いで本物の日本居酒屋をタイに根付かせる!」

タイの貧しい子供たちを支えた
『メコン基金』を知っていますか?

1997年当時赴任先の学校

1997年、蒸さんが赴任した当時のタイの学校のようすです

終わった。いや、終えたのだ。私がタイへ来るきっかけとなった民間教育援護機関メコン基金(NGO)。その活動が今年9月で終了した。

メコン基金の事務局は北海道常呂郡佐呂間にあった。タイ東北部にある学校への教育援助を1990年から開始。活動のメインは貧困が理由で学校へ通えない子供たちへの奨学金支給と学校設備の援助である。

その活動は1995年にはラオスにまで活動範囲が広がっていく。ちょうど、その時に私はラオスのビエンチャンのゲストハウスで、メコン基金の代表者である村岡氏と出会ったのだ。大学4年の夏休み、東南アジアを一人旅している時のことだった。

大学の教育学部に在籍していた私には、学校へ行きたくても貧しくて学校へ行けない子供たちがいる、そのことが衝撃的だった。日本では子供たちの登校拒否や引き籠りが問題になっていたころである。日本には学ぶ機会があるのに、学ぼうとしない子供たちがいる。一方、タイの田舎には学びたいのに、貧困ゆえに学べない子供たちがいるのだ。大学卒業を目前に、私は決断した。タイへ行こう。今だからこそ、今でなければできない事がある。大学を卒業した私はメコン基金の一員としてタイへ赴いたのだ。

あれから17年。現地での支援活動は1年ほどで見切りを付け、後方支援へとまわることにした。まずは自分がちゃんと自立できなくては他人の支援などできない。人間、理想だけでは生きていけないのだ。その現実に気付いた。タイで仕事をみつけ、働きながら支援する道を選んだのだ。

奨学金を受けた生徒も今では立派な社会人となっている。タイ人の生活水準も上がり、昔のように貧困ゆえに学校へ行けない子供も少なくなってきた。10年ひと昔とは良く言ったものだと思う。

確かに援助活動を終えるには良い時期なのかもしれない。メコン基金の解散。援助からの卒業。これは喜ぶべきことなのだ。しかし、やっぱり胸の奥には何かしの寂しさや感傷めいたものが渦巻く。

もし、大学生の時にラオスを旅していなかったら。そして大学を卒業して日本で就職していたら。人生はいつどこでどう変わるか分からない。人生は出会い。出会いは縁。いつどこに居ても縁は大事にしなくてはと思う。

ホームスティ先の家

ホームステイ先の家の子供たちとの1コマ

学校での現場作業も

日本からの支援による学校建設の作業も手伝いました

 

中村蒸一 Profile

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