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タイの貧しい子供たちを支えた
『メコン基金』を知っていますか?

1997年当時赴任先の学校

1997年、蒸さんが赴任した当時のタイの学校のようすです

終わった。いや、終えたのだ。私がタイへ来るきっかけとなった民間教育援護機関メコン基金(NGO)。その活動が今年9月で終了した。

メコン基金の事務局は北海道常呂郡佐呂間にあった。タイ東北部にある学校への教育援助を1990年から開始。活動のメインは貧困が理由で学校へ通えない子供たちへの奨学金支給と学校設備の援助である。

その活動は1995年にはラオスにまで活動範囲が広がっていく。ちょうど、その時に私はラオスのビエンチャンのゲストハウスで、メコン基金の代表者である村岡氏と出会ったのだ。大学4年の夏休み、東南アジアを一人旅している時のことだった。

大学の教育学部に在籍していた私には、学校へ行きたくても貧しくて学校へ行けない子供たちがいる、そのことが衝撃的だった。日本では子供たちの登校拒否や引き籠りが問題になっていたころである。日本には学ぶ機会があるのに、学ぼうとしない子供たちがいる。一方、タイの田舎には学びたいのに、貧困ゆえに学べない子供たちがいるのだ。大学卒業を目前に、私は決断した。タイへ行こう。今だからこそ、今でなければできない事がある。大学を卒業した私はメコン基金の一員としてタイへ赴いたのだ。

あれから17年。現地での支援活動は1年ほどで見切りを付け、後方支援へとまわることにした。まずは自分がちゃんと自立できなくては他人の支援などできない。人間、理想だけでは生きていけないのだ。その現実に気付いた。タイで仕事をみつけ、働きながら支援する道を選んだのだ。

奨学金を受けた生徒も今では立派な社会人となっている。タイ人の生活水準も上がり、昔のように貧困ゆえに学校へ行けない子供も少なくなってきた。10年ひと昔とは良く言ったものだと思う。

確かに援助活動を終えるには良い時期なのかもしれない。メコン基金の解散。援助からの卒業。これは喜ぶべきことなのだ。しかし、やっぱり胸の奥には何かしの寂しさや感傷めいたものが渦巻く。

もし、大学生の時にラオスを旅していなかったら。そして大学を卒業して日本で就職していたら。人生はいつどこでどう変わるか分からない。人生は出会い。出会いは縁。いつどこに居ても縁は大事にしなくてはと思う。

ホームスティ先の家

ホームステイ先の家の子供たちとの1コマ

学校での現場作業も

日本からの支援による学校建設の作業も手伝いました

 

中村蒸一 Profile

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タイで日本居酒屋<寅次郎><どんたく 九州酒場>を展開する、なえぎ(タイランド)株式会社代表。 詳しくはこちらをクリック! インタビュー「熱い思いで本物の日本居酒屋をタイに根付かせる!」